各務支考の俳句・ある日ある時
1月 | 薮入りに 饂飩打つとて 借着かな | やぶいりに うどんうつとて かりぎかな |
〃 | やり羽子は 風やはらかに 下りけり | 追羽子の落ちる様子を、風やわらかにと表現して、新春の気分が盛り上がる
昨今、見受けられない風情では? |
〃 | 若菜売る声や難波の浅みどり | 正月七日の七草粥に使う材料(特に薺ナズナ)を売る声 新春を色にすれば浅みどり!支考が青年の清々しい一面… |
〃 | 門松に聞けとよ鐘も無常院 | 変わらぬ物の象徴である松の緑に、無常を説く鐘の音が響く。 一休禅師が正月に髑髏を掲げて「御用心ご用心」と説いた姿をイメージさせられる |
2月 | むめが香の 筋に立ちよる はつ日哉 | うめがかの すじにたちよる はつひかな |
〃 | 水上は鶯啼いて水浅し | リズム感がいい俳句はストンと腑に落ちる。ミとアが心地よい |
〃 | 羽二重の膝に飽きてや猫の恋 | 恋猫には羽二重も麻も価値はゼロ…というか、一途な思いに富貴は異次元のことかも? |
〃 | 次郎殿も兄におとらじ梅の花 | 当時美濃から越後に移植された梅を越後の井上氏が賞賛して詠ったもの |
〃 | 三日月をつきぬく梅の匂ひかな | 鼻から目に突き抜ける『わさび』…の表現を、春一番の梅の香りに用いた支考。この感性を得たいものだ。 加えて、月を突くと言う。これは滑稽味?どっちかにして頂きたい気もする |
〃 | 埋木に此花さきぬ梅の花 | 友の弟の墓前に捧げられた一句。 冬を越した里の木々…小枝小柴の散る中でポッと咲く梅の花…寂しい死を感じる |
3月 | 桜咲ひとへに弥陀の彼岸哉 | 咲きor咲く?芭蕉23年忌。ひとへに迷う正徳4年義仲寺 |
〃 | あがりてはさがり明ては夕雲雀 | 雲雀の姿を朝から夕べまで、上空から地表まで捉えた句。
が、雲雀は餌を探す為に上空にのぼり餌を捕るために急下降する。
その必死さは人間にも通じる気がする |
〃 | 木薬のにほいにあそぶ胡蝶かな | 木薬は生薬(きぐすり)で、調剤されていない材料のままの薬草のこと。 (木薬=生薬を商う人)のもとであそぶ(胡蝶=支考and胡蝶の夢の故事)とも解釈… が、人の逢瀬も春の夢〜その覚束なさとも、人の世の春愁とも… |
〃 | 見渡して久しがほなる燕かな | 久しがほ=久し顔 として、改めて獅子門の語法が団塊の世代以後の人に どれだけ難無く受け入れられるのだろう…と、ふと心配になる。 燕と人との近親間は、今も昔も変わらないのに・・・ |
〃 | 水やそら空や水なる比良の花 | 水と空の融合、水と空の朧なる境界によって表現された春の景…「比良の花」以外でも応用がききそうな句あな… |
〃 | 屋根ふきは下からふくぞ星下り | 茅葺き屋根は下から順に上に向け葺いていく。星は下る…大きな空間を詠んだ句…とも感じる |
4月 | 虻の目の何かさとりて早がてん | 虻が悟った!と早合点したのは支考?なら「さとりて」は「さとると」では?ヘンかな… |
〃 | 椿踏む道や寂寞たるあらし | 一瞬、現在の大智寺境内に支考が立っているのかと思った。 春北風の中、落椿を踏む自分・踏まれる椿。生きる寂しさにハッとなる一瞬 |
〃 | こま鳥や声あきらかに花の中 | ヒンカラカラ〜と鳴くゆえに駒鳥?とか…花も季語なら鳥も季語 しかとは分からぬ木の上で、鳴き声練習に励む姿に、声援を送る自分。心の中も春満開である |
〃 | 長刀の供こそつれね花盛 | 花冷え、花曇り、花の雨…朗と憂による雅とは異なり、「花盛り」という語には全てを胸中に納めきった潔さすら感じる |
〃 | ふり乱すやなぎ神代の姿哉 | 「やなぎ」は夏を連想しそう…でも春の季語。 "ふり乱す柳"…情を持つ生き物のような柳に神の姿を見る支考の眼が好きだ |
〃 | 賭けにして降り出されけりさくら狩り | 花見の日が晴れか雨か?賭けをして…晴れた日の花見に面白みは乏しく チェッ雨か…云々カンヌンの声がする |
5月 | 卯の花に 叩(たた)きありくや かづらかけ | 『かづらかけ』とは桶のタガを掛ける事あるいは、その職人の事。 そんな風情も今は昔? |
〃 | つつがなき母の頼りやころもがへ | 春から夏へ、季節の節目の母からの便り。風邪引いてない?等々心配が尽きません。 |
〃 | 西行は娘もちてやころもがへ | 旧暦4月1日は綿入れから袷への衣替え…でも西行といえば墨染めへの変身?をちょっと突いた感じもする |
〃 | 卯の花の浪こそかゝれ色の浜 | 旧暦4月の海波や川波を指す「卯浪=ウナミ」の3音で済むところ缶ビール かな? |
〃 | 牡丹見の手燭に雨のこぼれ鳧(けり) | 五月晴れの下でなく、、あえて夜に、しかも雨、手燭の灯りで見る牡丹 この句に秘められた物語性と幽玄の美を感じる |
〃 | 青柳の若葉や秋もまのあたり | 命を謳歌するような若葉にもやがて秋が…と教訓めいた句とも、柳のうしろの亡者 への言葉とも…意味あって無きような…現在なら選に入るだろうか? |
6月 | 山懸けて卯の花咲きぬ須磨明石 | 背後の山と卯の花の白、そして平安ロマンの須磨明石…ちょっと出来すぎた舞台かな? |
〃 | 山中や鶯老て小六ぶし | 小六とは慶長年間の江戸赤坂に住んだ小唄の上手い馬方の名。老鶯の鳴調子と小六の節が重なる…が、ホントは鶯以上の歌声は無理な気も… |
〃 | 世の中のうしろの皺や衣がえ | 「世の中の」ののは意味有りか否か…こんな俳句が支考の面白いところだと思う 世の中の後ろに出来る皺…世の中と衣替えの関係は? |
〃 | しら山や黒きは一羽ほととぎす | 「しら山」は加賀の白山標高2,702m、対する黒い鳥、それだけの世界 何でもないようでいて、一瞬にして素直に世界を捉えるかのようだ |
〃 | ほととぎす帆掛に出るや日枝おろし | 夏の季語として多く詠まれている”ほととぎす"だが、現在その姿、鳴声を知る人は何割ぐらいであろうか? 日枝おろしで琵琶湖をイメージできる人は?…少々解説の要る一句では、と感じる |
7月 | 昼顔や夏山ぶしの峯づたひ | 発句は屏風の画と思ふべし。己が勿を作りて目を閉じ画に准らへて見るべし…とか 昼顔に夏、季重なりなど気にしないイイ時代だったのかな? |
〃 | 涼しさに中にさがるや青瓢 | 瓢の成る下を通れば誰だって何か言いたくなる…ちょっと触れてみたくなる… 涼しげで可愛いですね…なんて |
〃 | 三日月やさよは水鶏(くひな)の闇ながら | 播磨の「佐用」と「三日月」の名に興をえての作。お月様の三日月と小夜をも掛けている。 現在三日月町は佐用町と合併している。が、当時はその名と水鶏の闇の対比は新鮮だったのだろう… |
〃 | 南無あみの浦とやあまの夕涼 | 縁語…掛詞…かな使い…いろいろ遊んで、夕涼み〜 ふと笑いがもれる、これは讃岐での作。江戸庶民の旅はどんな感じ? |
〃 | 行暮れて蚊帳釣草にほたる哉 | 行暮れて…うら寂しい語感だが、旅寝の常套句。でこれは季重なり…でもこの時代は平気?だったかも 蚊帳釣草、面白い名なので一ッ句 斯く斯くと蚊帳釣草をして見せつ |
8月 | 魂棚にこちらむく日を待つ身かな | 魂棚(盂蘭盆に先祖の霊を迎える精霊棚)に自分の霊がまつられ 自分が現在座っている方向を向く日を待つという… 享保14年、支考晩年の心境である |
〃 | 花鳥の中に蚊帳つる絵の間哉 | 周囲がすべて美麗な絵の部屋に招かれ、蚊帳をつる時はどうするのか?と 思いつつ苦心惨憺…の末、できた句とか。眼は部屋全体を見わたしている |
〃 | おしむなよ芙蓉の陰の雨舎(あまやどり) | 1719年、支考が松任の千代を訪れた時の作 千代は「あたまから不思議の名人」と言われた17才の{美婦}支考は54才、芙蓉は雨宿りに適していたろうか? |
〃 | わせのかや田中を行ば弓と弦(つる) | 季語は「早稲」で、秋。田中の案山子を言わず 的を真っ直ぐ弓弦に当てたところが、支考かな? |
〃 | いくほどの世に綺麗なりけしの花 | 「いくほどの世」とは?行くほど・幾くほど・往くほど・逝く… どれを採っても芥子の可憐妖艶薄命を感じる |
9月 | 居りよさに河原鶸来る小菜畠 | おりよさに かわらひわくる こなばたけ 小菜は間引き菜のこと。心地よさげな秋の1コマ? |
〃 | 五器たらで夜食の内の月見かな | 五器=御器→蓋付きの椀のこと たらで=足りないまま 盛況であった月見の宴を「夜食の器が足りず」と表現する俳人も少ないだろうナぁ… |
〃 | 豆まはし廻しに出たる日向哉 | 小鳥の名は各地様々なのだろう…豆まはし=いかるorいかるが とのこと ちょっとした枕詞的用い方で面白い、夏でも秋でも… |
〃 | いざ宵や師の影去て十万里 | 佯死という自分の死を演じた後、次には弟子の役を演じて嘆きの句そ詠じる 座興とあればおもしろいが… |
〃 | 梢まで来て居る秋のあつさ哉 | 秋は何処から来るのか?ある朝ふと感じる空気…そこまで来ている筈が… 梢のほんの先まで…日が昇れば暑さ厳しい秋はじめである |
10月 | 一俵もとらで案山子の弓矢哉 | 米の一俵も収穫せずに案山子は弓矢を手にするばかり… 案山子の手に遊んでいる弓矢に 江戸期の「それなりの平和」を感じる |
〃 | 一里(ひとざと)は皆俳諧ぞくさの花 | 肥後国佐敷の全睡亭での作。くさの花…草の花。 雑草という名の草は無いとはいえ、何故か寂しさのこもる長閑さを感じる季語だナ〜 |
〃 | 出山の像おがませむ市の秋 | 支考が病床の折、見舞い客に、芭蕉から贈られた釈迦の像を見せようしたのか… 市井の秋の一日…こんな日記もいいなァと思う。背景は自分だけが知っている… |
〃 | 持網に白鮠(しらはえ)ふるふもみぢ哉 | 季節を色に例えれば”白” そこに紅葉の色が重なり鮮やかさが増す。 もみぢ と 紅葉 その違いが微妙である…… |
〃 | 冷々と朝日嬉しき野分かな | 野分のまたの日こそ いみじうあはれにをかしけれ…そのままの風情である 大嵐はさておき、洗われた空に輝く朝日は、見る者に生命力を与えてくれる |
11月 | 菊の香や 御器も其儘 宵の鍋 | きくのかや ごきもそのまま よいのなべ |
〃 | 狼のこの比はやる晩稲かな | 「はやる」は、のさばるの意。 当時、狼は季語としては弱かったのか、晩稲で秋季を表現 |
〃 | 菊萩にいつ習ひてや袖の露 | 九州行脚の終盤、病床に就いた後の支考。人との別離の哀しさにふと涙… |
〃 | 茶の花に此里床し美濃だより | 元禄14年越路の帰途の作。終生全国を行脚し続けた支考 その地の風情や人情に涙と微笑みを幾度繰り返したことだろう… |
〃 | 影ならぶ鷺の玉江や芦の霜 | 元禄14年越路の帰途の作。師と弟子は類似するのか否か?「月見せよ玉江の芦をからぬ先〜芭蕉」がある。 |
〃 | ふうわりと着心寒し紙子夜着 | 毛織物が流通しない時代、紙子は防寒の役目をしただろうに それを「寒し]と表現する心は?第3の眼差し?… |
12月 | 引被る 衣の香床し 初時雨 | ひきかぶる ころものか ゆかし はつしぐれ |
〃 | しかられて次の間に出る寒さ哉 | 元禄7年10月11日の夜、芭蕉死去の前夜、看病していた門人達が夜伽の句を詠んだうちの一句。
芭蕉に叱られた体験を詠んだものだろう。真の俳人とは如何なる時も俳句と伴に生きている |
〃 | 麦蒔の伊吹をほめる日和かな | 穏やかな日和に麦を蒔く農夫の目線で伊吹山の雄姿を捉え 支考の故郷を詠む… 現在も美濃の民にとって伊吹山は特別なものである |
〃 | きよつとして霰に立や鹿の角 | 「キョッ」?とした鹿とは、どんな表情なのだろう…同じ句が「蓮二吟集」では「きつとして」となっている 霰のイメージと重なるのは「きつ」だろうか 霰の中に立つ鹿の表情・角のカリカリ感が「きつ」に凝縮されている |
〃 | 朝雀雪はく人をはやしけり | 夜の雪が止み、雪に映える朝日の中で何か楽しい気分の雀と雪掃く人。 雪掻きほどの雪で無いのがイイ |
〃 | 鵜のつみもわすれん雪の長良川 | 鵜を使って鮎を獲ることに罪の意識が、江戸の人支考にあったのだろうか? 忘れたいのは日々の自分の微罪…ホントは雪を見るとそう思うのでは? |
〃 | 野は枯てのばす物なし鶴の首 | 枯野に「のびる」物ではなく「のばす」物というところが気になる…? 「のびる」と見るのが自分なら「のばす」のは対象物自身の底力?鶴の首は鶴がのばすもの… |